kabayakitakuan’s blog

人はみんな何かしらのプロだと思っています。 国家公務員のプロ・休職のプロ・転職中のプロ・ロードバイクのセミプロ・PUBGのセミプロ・焚火のプロ・田舎住まいのプロ

なんとなく日々が過ぎてゆく

まずい。

「何となく」や「漠然と」した行動は慎んで、未来に向かって計画的に具体的に細分的に行動しようと考えていたのに、

YouTubeTwitterや気になるニュースを眺めていたら一日があっという間に過ぎてゆく。

 

手元に残ったものは何もなし。

 

知識のインプットの量は莫大なのだけれど、アウトプットにつなげていないので、すぐに消えてゆく。

 

人生設計についても、「なんとなる」という気持ちが邪魔をして前に進んでいない。

 

なんとかなるのは、金持ちか人気者だけだ。

 

ネット上にキラキラした人生エピソードや、よどんだ人生エピソード、高みから若者への助言エピソードが散在しているせいで、ついつい読みふけってしまう。

 

他人の人生は、お前を助けてはくれないぞ。

競争社会から逃げ出したいとうそぶくけれど

競争社会から逃げ出したい。

これは結構マジである。

どのくらいマジであるかというと、

 

 

自転車で鼻歌まじりにさっそうと走っていたところ、

スリップして田んぼにぼっちゃんして呟く「マジか…」に匹敵するくらいである。

 

そんな「マジか」を実現する方法を考えてみる。

 

1.自然だけを相手にして生きる

 

生命の起源である地球先輩は我々のような矮小な存在と争いはしない。

生きるか死ぬか、その2択しかない。

物々交換ってやつですね。

 

2.とてつもなく参入障壁の高い寡占市場で生きる

 

よそ者排除の仕組みが確立されているので競争は少ないかも。

でも外部からの圧力が無いことによって、内部はどろどろになっている可能性もあるかも。

 

3.心臓をささげて一つのことを極める

 

信じられないほどの圧倒的な高み。

そこに存在できるのは人間性を捨てた孤高の魂だけである。

 

4.競争社会を作ってる側に回る

 

弱肉強食という檻の外に出るのだ。

いわゆる国会議員。

文句言ってるだけでお金がもらえる。

 

5.血眼になってブルオーシャンを探し出す

 

誰よりも先に飛び込むのだ。

 

~結論~

 

周りの有象無象とは違う存在になるといこと。

そしてそのためにには結構な確率で人間性を捨てるということ。

落合陽一みたい(笑)

 

文字で伝える場合における見た目の重要性

ある日のこと。

朝からマシュマロという食事をすませた私は、

より高次な存在を目指すべく、生産性向上の手段を調べていました。

 

ネット上には様々な意見や手法が並んでいるのだが、

記載されている内容がスっと頭に入ってくる記事と、さっさと読むのを切り上げてしまう記事があることが気になったので、その点について深堀します。

 

~目次~

1.読まれるブログ

 

・文字の大きさが適切

・モノクロではなくカラフル

・目次を一目見てブログのコンセプトが分かる

・リアルな写真よりもイラストが多い

・筆者の経歴を見て共感を覚える

・関連性のある新しい記事が用意されている

・事実の羅列は見やすいように枠線で囲っている

吹き出しを交えつつ、よりキャッチーにしている

 

2.さっさと閉じてしまうブログ

 

・文字より広告の方が目立っている

・余白が大きい

・テンポよく文章が流れていない

 

3.結論

 

人は見た目が55%という研究がありますが、

ことブログに関しては8割くらいは見た目だと感じますね。

 

でもイラストの挿入とか文字の強調とか…時間かかるんですよねぇ…。

 

Webデザイナーという仕事

キラキラしてて憧れる。

そんな人も多いでしょう。

私のその一人です。

 

 

~目次~

1.憧れちゃう理由

2.でも代理店というスタイルが多い

3.さらには将来性も…

4.キラキラに惑わされず、自分の得意分野と求めている姿を追求すること!

 

 

1.憧れちゃう理由

 

フリーランスやリモートワーク、はたまた週4勤務など、うらやまけしからん仕事のスタイルを実現している人の多くが、「Web系」or「デザイナー系」だからです。

 

そして何より服装自由!

ネクタイとベルトのことを、人生に絡みつく邪悪なウロボロスであると認識している私にとって、喉からミギーが出てきそうなほど素敵な制度です。

 

2.でも代理店というスタイルが多い

 

多くは「ウチでHP作りまっせ」「デジタルマーケティング代行しまっせ」という形で仕事を取っているが、そのスタイルは顧客に喉元をつかまれているがごとし、という偏見が私にはある。

 

要はスケジュール管理がままならず、ちょー激務というイメージです。

 

3.さらには将来性も…

 

大手企業はデジタルな分野も当然カバーしているので、必然的に中小個人企業に対するアプローチとなります。

そしてそこでは営業による凄惨な顧客獲得バトルが開催されているのは自明の理…。

 

また、ペライチやNo Codeアプリのように、技術の進歩によって制作への参入障壁は下がりつつあるという点です。

ひと昔前ではプログラミング言語を扱わなければ作れなかったプラットフォームが、ツールの使い方さえ覚えれば簡単に作れるようになっています。

プラットフォームの一元化も進んでいるため、個々のHPを乱立することは不要になるでしょう。

 

最後に、ボーダーレスで仕事ができるようになっている昨今、高い単価を要求する日本人に依頼する必要は必ずしもない、ということです。

 

4.キラキラに惑わされず、自分の得意分野と求めている姿を追求すること!

 

制度の欄に、「カフェスペース完備!」や「BBQ補助あり!」なんてキラキラ補助を謳っているいる会社がWeb業界には多いが、

 

目を覚ましたまえ。

 

通勤手当と家賃補助の方が100倍大切です。

 

ふー

危ない危ない

自戒を込めたブログってほんとうに大切ですね。

 

私の目指す姿は「さかなクン

 

魂に刻め!!!

 

キャリアを見つめる 2

人生の岐路の真っただ中で、絶賛迷走中です。

 

警察官を辞めた人のブログや一人社長のHPやドイツでフリーランスをしているイラストレータのブログやライフハッカーの編集部員の経歴なんて眺めています。

 

様々な人生模様を感じるとともに、他人の精神が自分の内部に侵略してきているのを感じます。

なぜならみんながみんな、自分のメディアでこう発言するのです。

 

「紆余曲折あったけど何とか生きていますし、ぜひ皆さんにもチャレンジしてほしい」と。

 

焚火と夕焼けを眺めながら物思いにふける私の精神状態が彼彼女らの経歴をそのように読み解くのでしょう。

 

いつぞやかのどこかの哲学者が、「読書とは他人の思考が自分の精神に入り込む行為であり、それゆえに多読は毒である。」と言っていました。

 

ごもっともです先生。

情報過多は本当に毒です。

 

自分の中に一本の芯を持っていないから、迷い迷わされてしまいます。

 

さっさとその芯とやらを見つけ出して、他人に植え込む側にならなきゃなぁ…なんて考える午後4時でした。

 

 

 

 

キャリアを見つめる

やりたいことを仕事にしている人がいる。

ネットの世界を通じて、楽しそうに働いている人の存在を知りました。

 

そしてその世界にとてつもなく魅了されました。

どうしたら毎日を笑顔にしてくれる仕事に就けるだろう、と。

 

もうアンパンマンのマーチが脳内エンドロールする仕事は嫌なんだ…。

 

 

~目次~

1.やりたいことは、出会うもの

2.やりたいことを見つけている人のルート

 

 

1.やりたいことは、出会うもの

 

楽しんで生きている人は皆こう言います。

 

「とりあえずやってみそ」ってね。

 

外の世界の人に会ってみたいなら、まずはその世界に近づかなければ始まらない。

 

 

2.やりたいことを見つけている人のルート

 

【学生のころからチャレンジしており、その延長線上で仕事になったケース】

おおよそ情報発信を欠かさず、繋がりが生まれることのよって仕事も舞い込むという場合が多い。

一番憧れるパターン。でももう無理。

 

【もともとやりたいことがあり、その夢のために会社勤めを経て、世界に身を投じるパターン】

会社勤め中もこつこつ夢に向かって努力を続けた人が成功している。

 

【今の生活に不安を感じ、心機一転チャレンジするルート】

不安と希望に突き動かされているので、戦略的に行動できないデメリットがある。

一方で職歴によるノウハウが蓄積できている場合は知識を生かせる異業種に転じている人もいる。

 

3.未来のことなんて誰にも分からない

 

観光需要が勃興している最中にコロナウイルスが到来するがごとしですね。

こんなくそったれなウイルスの到来なんて誰も予想していなかっただろうし(ゲッターズ飯田氏を除いて)、売り手市場が続くと考えて何となく就職活動をしていた学生も多いことでしょう。

 

でも、東北大震災のように、たった一つの地球要因で私たちの人生設計はあっけなく変わってしまいます。

 

その瞬間に、果たして自分は平気な顔して生き抜くことのできる力を持っているだろうか。

貴方の記事はゴミですよって話

よく言われることです。

ただ日常のことをつらつら書き連ねる君の記事に価値はないよと。

読者の課題解決に答えてこそ価値のある文章だよ、と…。

 

そう有名ブロガーさんたちは言うのです。

 

~目次~

1.せやな…

2.でも

3.だから

 

 

1.せやな…

 

反論の余地は今はないです。

なぜなら彼彼女らは稼ぎ、私は無職。

血で血を洗う資本主義社会において、富・名声・力を手に入れた彼彼女らに逆らうことは蟻が像に逆らうことと同義です。

 

2.でも

 

でも、ワシ、思うんですよねぇ。

 

今の時代のブログは、システムを使いこなしているか否かが重要になってしまっているって。

もちろん医療や制度といった分野では専門性のある人物が執筆するよう求められるけれど、それ以外の問題解決では、検索結果のトップに躍り出る手段を知っているちょこざい人間こそが金を儲けている、と。

 

例えば転職エージェントやプログラミングスクールの情報を挙げて話しますと、まぁ黒い情報に中々出会えないのです。

絶対中身は真っ黒なのに、それを裏付ける証拠に出会えない。

 

なぜなら彼らはネット上での身の振りかたをよくご存じだから。

 

そして情弱たちは今日も騙される。

 

3.だから

 

そんな情報格差の世界で、真正面から課題解決の文章を書き連ねたところで、よほど専門性があるか巷で話題のインフルエンサー(仮)でもない限り、目に止めてもらえないと思うんです。

 

だから、伝わる文章の書き方や、正しい日本語の使いかた、正確な情報の精査という根本的な部分に留意しつつも、

 

文章の中に個性を混ぜ込み、「私ってこんな人間なんですよ!」と羞恥心をかき捨てて、何もかもさらけ出してこそ信頼が生まれると、

 

私はそう信じています。

 

大丈夫。君の文章はゴミじゃないよ。